なぜ私は何かに急かされるように写真を撮っているのだろうと 考えることがある。
写真を撮る行為は「写せる四角形の枠の中に 必要なものを取捨選択して入れる」作業のようなもので、
つまり、 私は写真を撮る際に、どこか一部を切り捨てているのだ。
切り捨てられた部分はどこへ行くのだろう。
何にも残らず、 不確かな存在として、余白になるしかないのだろうか。
そもそも、自分自身は不確かな存在で、 私自身でも把握できない部分が多い。
だから、自分自身を規定するものをどうにか作って 自身の存在を肯定しているのではないかと思う。
日常生活は写真のように取捨選択を私に強いる。
この繰り返しが生きることだと誰かが教えてくれた。
写真には撮影者の姿は写らない。
撮影時の会話も呼吸も気温も匂いも、その場の空間丸ごと 写真に写せたらいいのに。
消失から生まれる余白、
余白の存在理由を
私は知りたい。
model : Anzu , Kanon , Kotomi , Natsumi , Takanashi , Tsubasa